どうも、望月です。
今は夏休みだから、久しぶりにみんなと飲みに行ってきたよ。
やっぱ落ち着くな…あの居酒屋。
みんなは何して過ごしてる?
今回は連載6回目「松の木」についてです。
🔻寓話の全容はこちら🔻
🔻前回の記事はこちら🔻
旅人は、崖の上の松の木から、一本の藤ヅルが垂れ下がっているのを発見した。
松の木とは?
さてさて続きを話すと、
松の木とはお金・名誉・地位・家族・スキルとか俺たちが日頃から頼りにしているすべてのものなんだ。
虎から必死に逃げた先に松の木があったら「よかった!」って思うよね。
でも虎はネコ科の動物。
木を登ることは容易い。
つまり松の木(財産、地位、家族)に登っても虎(自分の死)から逃れることはできないってこと。
なぜ逃れられないのか…
松の木には限界があるんだ。
松の木の限界
永遠の命があれば、これまで築いたものが全て活かされる。
でも俺たちは不死身じゃない。
そして悲しいことに死ぬ時には何一つ持っていけない。
山下がブチ切れてた話があるんだけど
ゲームで溜めてたジェムがバグで半分くらい失くなったらしくてさ。
「ようやくガチャ10連出来るハズだったのにー!!!」
怒りのあと廃人になってたよ。
ジェム消えたのも悲しいけど、これまで積み上げてきた学歴とかスキルとか彼女とか全部置いていくのは…
想像できないけど大きな苦しみだよね。
「今はただ 一夜の夢となりにけり 行き来あまたの 仮の宿宿」
存覚上人
旅行っていいよね。
椅子も机も空気も最高!
ベッドにダイブして、飛び跳ねて、オシャレな椅子に座って写真を撮る・・・
一泊の間、好きに使える。
でも次の日にはすべてを置いて出ていく。
ちょっと寂しい瞬間だよね。
人生で手に入れたお金や友達、恵まれた容姿も同じようなもの。
生きている間だけ自分の好きに使うことができるけど、その後には何も持って行けないんだ。
最後の最後はアテにならない、それが松の木の限界なんだ。
たった1人でこの世を去る
もっと言うと松の木は俺たちが元気な間だけ光を放つ。
一見頼りになりそうな人でも、土壇場でいなくなる人っているよね?
めちゃくちゃタチ悪いよ。
騙された気分になるよね。
俺の好きな作家・瀬田栄之助がガンになったときの言葉なんだけど…
「死を前にしては、ニーチェもキルケゴールも役に立たなかった」
瀬田栄之助『いのちある日に』
頭のいい人が哲学や思想をどれだけ勉強していても、どれだけ知識を蓄えていても、死の前には役に立たない。
もう1人、早稲田大学の教授もこう言ってる。
「その状態に陥ったとき、私は、いままで自分が信じてきたもの、大切にしてきたもの、寄りかかってきたもの、 作り上げてきたものが、一瞬のうちに無意味になるのをみる。
森岡正博『無痛文化論』 (早稲田大学人間科学部教授、哲学者)
いままで生きてきて、いろんなものを築き上げてきたし、自分なりの世界観や価値体系も身につけてきたが、それらが一挙に崩壊する」
健康な体、金、地位、名誉、家族や友達に恵まれていても、最期はすべてを置いて、1人、死出の旅路をいかねばならない。
「松の木に登っても、虎からは逃れられない」というのは、そのことを表している。
俺たちの未来
死後なんてどうにもできないんだから、考えなくていいだろ。
そういう声が聞こえてくるし、俺もそう思うよ。
でも本当にそうかな?
俺たちがどうにもできないと思っていることは本当にどうにもできないのか?
100年前まで人が空を飛ぶことなんてできないと思われていたけど、今は当たり前に飛行機に乗っている。
常識を疑うことは大事だと思うんだ。
今の行動が未来を作る。
だったら死後も変えられるんじゃないのか?
そんなこと考えてたら、今書いてる小説の展開が浮かんで筆が進んだよ。
次回は「藤ヅル」です。それじゃあまた。